2020年12月2日水曜日

11年前②

前の日記の続き。

続・なるだけ湿っぽくならないように書きたかったけど、それはやっぱ無理でした!!
湿りすぎてて投稿するの躊躇してたけど、書き留めておきたいし、自分の日記やし良しとします。
ますますシメシメやから、そういうの苦手な人は読まないでください。ペコリ




その後の記憶を順不同で書いておく。
取り留めもなく長いし読みづらいしでスミマセン。




お葬式のために熊本へ行った。ザーサイの家はめっちゃ田舎で、近所の家中みんな同じ名字やった。
お葬式が始まって、悲しいはずやのに、お線香焚く順番を待ってる間ふとザーサイの遺影をみたら、なんか遺影もこの状況もギャグのように感じて、変に客観視しちゃって、笑いが止まらなくなってしまった。絶対周りにバレたらアカン!と思って必死で隠した。あれって蛭子さん現象かな?サイコパス?

棺桶に入ったザーサイがいつもと違うメイクと格好をしてて、んも〜!全然わかってへん!ザーサイのメイクはもっとつけまつげとか付けなあかんねんて!後、今のザーサイはこんなピンクのヒラヒラの格好せえへんやろ。黒と白、もしくは紫やろ。と心の中で突っこんでた。

ザーサイの家族に会わせてもらって、自分たちがどう見られているのかが怖かった。
お父さまもお母さまも、とても優しい人だった。


熊本からの帰り、好きな人たちが突然いなくなる恐怖に駆られてた。バスの中で眠れずに、何人かにメール送ったりしたのを覚えてる。好きな人に早く好きって伝えなきゃって気持ちでいっぱいやった。

それ以降も二度?お墓参りでお邪魔させてもらってる。



ザーサイが死んで間もないある日、版画の教室に入ろうとしたら、あたしの机の横の、ザーサイの机に花瓶が置かれてた。その周りでクラスメイトたちが普通の顔して平然と作業してた。
ザーサイが死んだことを受け止めきれていないその時のあたしにとって、ショックな光景やった。
途端に涙が止まらなくなって、人通りの少ない場所に逃げ込み泣きじゃくってたら、クラスメイトが後を追って慰めにきて、あたしは号泣しながらも無性に腹が立ってた。
なんでアンタがあたしを慰めることができるん?何がわかるん?優しいフリすんなよ。
ザーサイとそんな親しくしてなかった子達が、花束とかそんなカタチだけ立派に素早く用意して、ふざけんな!と思った。いやらしい。わざとらしい。簡単に受け止めてんな!クソが!そう思った。


普通に作業してるように見えた子達も、心の中はまた違ったのかもって今ならわかるよ。特別仲良くなくても、一緒の空間で学んでた子が突然亡くなって、動揺せずにいられるはずは無いよね。余裕が無くてそこまで見えてなかった。


その花瓶を見た日から一回生が終わるまで、教室の自分の机で作業することが最後までできなかった。そんで、元々そんなに仲良くなかったクラスの子達とますます疎遠になった。


周りとのテンションのギャップを、月日が経つごとに感じるようになって、どんどん人と話すのが辛くなった。
ザーサイと仲良かった よんえる と たなほ とはザーサイの話ができたし、話してる間は少し癒された。後マジマジ。でも、たなほはクラスの子達とうまいことやってて、あたしはそこから距離をとってたから、なんとなく日が経つにつれてあんまり話さなくなってしまった。たなほにも会いたい。



軽音内でザーサイの死が部員たちに知らされた後、部内で話し合いが何度もあったけど、その話し合いの場にいるのも辛かった。
この事故は当時mixiニュースにもなって、全然関係ない人たちがあること無いこと勝手に想像して偉そうに批判してた。
2chでも同じようなことが起こってた。


あたしは学校を休みがちになって、鬱みたいになって、少しでもラクになりたくて病院にも行った。でも薬で解決するはずもなく、気休めにもならず、通わなくなった。
誰にも相談できなくて、会員制SNSでずっと日記書いてたな。
二回生になってから軽音にいるのもしんどくなって休部した。
でも、その頃バンドに誘われるんやけど、それはちゃんとやってた。なぜかバンドはやれてた。
バンドでやってた『ダンシングクイーン』の2番と3番は、ザーサイを想像して書いた曲と言うのはメンバーにも秘密!



しばらく休部してた軽音には、先輩がずっと声掛けてくれてたのもあって、途中から復帰した。

あたしの通ってた大学は「自由自治」を謳っていて、学生たちでルールを決めたり問題を解決していくシステムになっていた。国で言う「国会」が、うちの大学で言う「学生大会」だった。
学内飲酒について何度も学生大会が開かれていて、軽音も毎回参加した。
飲酒事故が起きてから、学校側から一方的に「学内禁酒」が通達されて、それはおかしいってことだった。
学内飲酒がOKにしろNGにしろ、学生たちに決めさせろ!てことで何度も話し合いが続いてた。
あたしも何度か発言した。

お酒について、ザーサイについて、自由自治について、ずっと考え続けた学生生活やった。



この事故は、何十年にも渡って積み重なってきた悪しき習慣が要因やと思う。
潰れた人の介抱の仕方は、代々三回生が二回生に教えることにはなってたけど、素人がどんだけ介抱しようが、あんなに飲んでたらいつ誰が死んでもおかしく無い状況やった。
逆によく何十年もみんな無事やったなってくらい。

でも、無知で馬鹿だから、そんな環境を受け入れてしまってた。
伝統やから、今までも大丈夫やったからといって、お酒の危険さを何も知ろうとしなかった。

お酒を飲んで仲良くなれる楽しさは確かにあると思う。
でも、潰れるほど飲ませるのは、死ぬほど飲ませるのは、絶対に間違ってる。
当たり前のことすぎて、わざわざ書くのがすごく情けないけど。。


数年前に、同期のメンバーで、飲酒事故を風化させない活動を学内で催したりもした。
本当は定期的にやるべきことやと思うけど、みんな日本中、東西南北ちりぢりになってて、なかなか難しくなってる。


大学生の飲酒事故のニュースが毎年つらい。
後、ウイスキーをイッキする某バンドマンも、見ると思い出して目を逸らしたくなる。
イッキで盛り上がるとか、イッキが漢気とか、イッキせんやつサブイとか、そういう風潮がこわい。





ザーサイが死んでから、あたしの人生が変わってしまった。

「当たり前」なんて暫定的なもの。絶対なんて幻想。そう痛感している。
ポジティブな想いはどんどん伝えたほうがいい。伝えられなかった後悔は一生無くならん。

恥じらいや「拒否されたらどうしよう」なんてことは、伝えられなかった後悔に比べたら屁ェみたいなもんや。
loveの好きはハードル高いけど、さっさとそんな壁も越えるべきや。
(中島みゆきの「I LOVE YOU,答えてくれ」はあたしの教科書デス)

元々、「言わんでもわかるやろ〜、だって恥ずかしいし〜」てタイプやったけど、大事な人をちゃんと大事にしなきゃ!って、強迫観念的に意識するようになった。
これ自体はエエ学びかもしれんけど、勉強代としてはあんまりにも高すぎる。
こんなん学ばせてくれんでいいから、ザーサイが生きててほしかった。



ザーサイ、ピンクの色えんぴつ貸したら使いまくって半分くらいになって返ってきたり、なんでも貸して〜て言ってきたり、酔っ払ってベロチューしてきたり、うざいとこもあったけど、友達やった。永遠に終わらん恋バナまたしたいな。祭実行が落ち着いたら服屋巡りもしたかった。
29歳のザーサイってどうなってんねやろ?会いたいな〜。



最後まで読んでくれた人ありがとうございました。LOVE!!!!!




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