2022年5月25日水曜日

持続可能な恋ですか?

 今日は疲れたしよく眠れるぞ!と思っていたのに、どんだけ頑張っても全然眠れなかったので、今日見逃したドラマ「持続可能な恋ですか?」6話をうどんすすりながら観た。
そこに、とても良いシーンが出てきた。

井川遥演じる日向明里が、お見合い相手の男性とタクシーに乗ってる時に、ラジオから松重豊演じる沢田林太郎(国語辞書編纂者)の話が聞こえてくるという場面。
セリフを書き起こしてみる。

・・・・・・・・

ラジオDJ)確かに女性配偶者の呼び方って最近難しいっすよね〜。
  「奥さん」も「奥にいる人」って感じで、
   どう呼んでいいのかわかりません。

林太郎)あの〜、本来「奥さん」というのは、
  「大きな部屋で奥の部屋を取り仕切る責任者」という、
   あの、敬意を込めた呼び名だったんですね。
   それがだんだん「奥に追いやられていくようなイメージ」
   に変わっていったんです。

ラジオDJ)なるほど〜

・・・・・・・・

ラジオDJ)沢田先生は、女性配偶者を何と呼ぶのが相応しいと思います?

林太郎)ふさ、相応しい・・・?
   あ、、何でもいいんじゃないですかねぇ・・・。

ラジオDJ)何でも?

林太郎)はい。相手への敬意があって、
   呼ばれる方がそれで良しとするならば、
  「奥さん」でも「パートナー」でも。
   どんな言葉にも敬意が無いと相手に失礼ですし、
   相応しいと他者が押し付けるのも傲慢かと。


このラジオの途中でお見合い相手の男性は
「僕も“奥さん”っていうのは抵抗があるんですよね〜」
とアピールしようとするが、明里に「ちょっと静かにしてもらえますか」と止められる。
(この男性は以前にも「“うちの嫁”とかいう人苦手なんですよね。僕は結婚したらパートナーって言いたい。対等な関係になりたいんです」とアピってた)

明里は林太郎の話を聞いて「そっか、そういうことかぁ」と深く納得する。


明里)なんて呼ばれても構わないんですけど、
   その「美人すぎる女医」っていうのは、
   ちょっと嬉しくないですね。

男性)え、僕は明里さんのことを褒めて・・・

ここで明里はタクシーを停め、男性を残して去っていく。
というシーン。


(「美人すぎる女医」ってのは、この書き起こしたシーンの前に、男性が明里の容姿をやたら褒めるやりとりの中で使われた表現です。)


ここまでせっかく読んでくれた方には、あたしの文章能力の低さのせいで伝わりづらかったかもしれず申し訳ないけど、このシーンを見てすごいスッキリしたからメモしておきたかったんよね。
そして、明里の“「美人すぎる女医」っていうのは、ちょっと嬉しくないですね。”って言った気持ちも、とてもよくわかった。

お見合いの男性は、「うちの嫁」「奥さん」じゃなく「パートナー」という言葉を使いたい。対等な関係を築きたい。と現代のアップデートされた感覚を持ってるよ!と言わんばかりにアピってたけど、医者として一人前に働く女性に対して「美人すぎる女医」が褒め言葉だと疑わなかった。そして、明里の外見と、わかりやすいステータスしか見ていなかった。
言葉だけ表面的に時代の流れに合わせたところで、本質的には旧式な感覚から抜け出せていないし、敬意も無いんよね。




あたし、言葉は好きやから、人の言葉にわりかし引っ掛かることがある。
そしてわりかし言葉について考える。
人々の間で物議を醸す言葉って、色々な原因があるよね。
言葉の性質について書き出してみた。


●まず、言葉を成り立たせている漢字それぞれに意味がある。
漢字辞典に載っている内容のこと。
「障害者」を「障がい者」「障碍者」と表記しましょうと活動する人が出てきた背景にも、「害」という漢字のもつ意味が問題視されたことが理由のひとつにあるみたい?


●そして、言葉にはイメージがある。
あたしは「ギャルバン」と言われることに引っ掛かるんやけど、「ギャル」と「バンド」という言葉自体には差別的な意味もマイナスな要素も無い。
じゃあなんで引っ掛かるのか?
それは、あたしに対してその言葉を使う人たちが、無意識に見下している、男性がやってるバンドとなぜか差別化を図られている、呼び方を変えることによってイロモノで特殊なイメージを加えようとしていると感じるからなんよね。そこに敬意は無いよね。
どんな言葉でも、使う人の意図、込める思いによって、差別用語やマイナスなイメージの言葉になり得てしまう。
「障害者」の表記を変えましょうと言われはじめたのには、「害」という漢字問題の前提に、「障害者」が持つマイナスなイメージを改善したいという思いがあったみたい?


●さらに、言葉の持つ意味は時代と共に変化する。
「奥さん」の持つ言葉のイメージが昔と今とで変わってきてしまったように、誤用であっても人々が使い続ければ、それは正しい意味となってしまう場合がある。読み方も然り。
「障害者」だって、最初は単に身体や精神に不自由な箇所がある方を表すためだけの、ただそれだけの言葉だったはず。マイナスなイメージは後から人間たちによって付け加えられる。


言葉って難しいね。そんで、面白いね。

最近では「嫁」や「奥さん」という言葉に対して批判的な流れが見られる。
「ギャルバン」という表現には抵抗を感じる一方で、それに対して強く「問題だ!」とは思えていなかった。
なんでピンと来ないんだろう?と思いながらも、もやもやしてハッキリ答えが出ず、明確な姿勢を取れずにいた
そんな時に、今回のドラマの林太郎のセリフを聞いて、とてもしっくりきたんよね。

“相手への敬意があって、呼ばれる方がそれで良しとするならば、「奥さん」でも「パートナー」でも。(なんでもいい)
どんな言葉にも敬意が無いと相手に失礼ですし、相応しいと他者が押し付けるのも傲慢かと。”

マジでこれだなと思った。
相手への敬意があって、呼ばれる方が良しとするなら、奥さんでもギャルバンでもよいのだ。
あたしはギャルバンって呼んでくる人から敬意を感じないし、良しとしないから、呼ばないでほしいってだけ。
他の女性たちのバンドのことは、あたしにはわからないし、ギャルバンって名乗るバンドがいてもいいと思ってる。

そんで、女性配偶者の呼び方問題、「奥さん」とか「うちの嫁が〜」とか、将来の夫から言われてイラッとする日がいつか来るかもしれない。
けど、今のところ、この言葉を使ってる人たちから悪意を感じないから、あまり気にならなかったんやって気づいた。


しかし、ググると「嫁」という字の本来持つ意味的に、今使うのは時代遅れっぽいね。
言葉を本来の意味通り正しく使いたい派のあたしは、意味を知ってしまった以上「嫁」使うのはちょっと抵抗出てきたな。。笑


そろそろ話をまとめると、

相手への敬意があって、呼ばれる方がそれで良しとするならば、
奥さんでもパートナーでもOK
というのも正しいし、
相手への敬意があるからこそ、言い方や漢字をより相応しい方へ変える
というのも正しいと思う。
どちらも
・敬意があること
・使われる側が良しとすること
前提の話だから成り立っている。
それぞれ呼び合う人たちが、お互いにベストな方法をとれたらいいよね。

逆に、どれだけ時代に合わせた言葉を上っ面だけ使ったところで、そこに中身が伴っていなければ意味が無い。アップデートアップデート言いたいだけのアホ!


これは愚痴やけど、言葉を本来の意味通り正しく使えていない人に
「その表現は適切じゃないですよ。少なくともあたしはイヤですよ」
と申し上げた時、
「悪意無いから別にええやろ。こういう意味で言ったんだ!」
って勝手に独自の解釈付けられて反論されるのんは、話が通じなくて頭痛くなるな〜と思う。
辞書引こうよ。お互い揉めないためにも言葉は正しく使おうよ。間違ったら謝ろうよ。てか、イヤって言われたなら謝ろうよ。て思うー。
こういうのたまにあるけど、あたしが見下されてる、ナメられてるからなんかな。


言葉って難しいね〜。
けど結局は真心と、それを正しく伝えるための、最低限の言葉の知識が大事ってことなんかなあ。

長々と書きましたが、ここまで読んでくれてありがとうございました!

2022年5月19日木曜日

所感3

最近本気(と書いてマジ)で職探しをしてる。
本気になったらまあすぐ見つかるやろ〜ってダラダラ探してたら、バイトとか派遣でも書類すら通らない!ってなって、やっと焦りはじめた。ヤバいーー。
この先の人生どうするにしても、手に職はつけておきたいのでデザインの仕事したいんよね。
もっと職種にこだわらなければ色々あるんやろけど。
人生ナメてた〜。

今日は真心ブラザーズを聴いてた。
元バンドメンバーや、大学のフォークソング部の先輩の中には真心聴いてる人いたけど、今のバンド関係周りに真心聴いてる人ほぼおらん。そんな中、ソメヤさんが真心好きなの発覚してアガった。
色んなジャンルカバーしてる人たちがいるはずの維震軍で流しても、ソメヤさん意外無反応やった。有名やしいい歌やのになんでやろ〜?
あたしも、全アルバムめちゃくちゃ聴き込んでます!!って感じではないニワカふあんですけど。

あたしの中でバイブル的な歌が何個かあるねんけど、真心ブラザーズの「ウキウキ」って曲も人生のお手本にしている。
いつか死ぬまでに、こんな風に生きられるようになっていたい。
落ち込んだ時とかにふと思い出して口ずさんで、ちょっと元気出る。



あたし性格良くないし優しくなりきれないし、冷たいし、間違いもいっぱいしたし、100%誠実には生きられないけど、なるべくそう生きようとすることを諦めたくないな。
誠実に生きる人にはどこかに必ず味方がいるらしいから、そう生きようとしてる限りあたしは大丈夫。強いから大丈夫。案外能天気やからきっと大丈夫。
やさしい友達いっぱいいるもんな。大丈夫!!!

真心聴きながら、そう思いました。愛と勇気!!!!

2022年5月15日日曜日

所感2

あたしなんでもズバズバ言ってぶつかっていく熱いイメージを持たれてるかもしれんけど(知らんけど)、確かにそういう時もあるけど、話が通じないとか仲良くする必要がないって悟ったら静かにサーッて距離をとるし、案外冷たい人間なのかもしれない。
ハートフルに憧れる人生でした。

あたしが好きで仲良くしてきた人に対しても、なにか議題があってそれについてアレやコレやと熱く話すことはあっても、自分の生身の気持ちをしっかりと訴えるってことはしてこなかった気がする。
そんなんやから、誰に対して喋ってるのかわからない日記をブツブツとずっとつけ続けてるのかも。(場所を転々としながらも15年強)

しかし、ここ一年くらい初めて?珍しく?そういう慣れないことを試みてる。
正直いつもすごくこわい。拒否されたり伝わらなかったらどうしようって思う。
けど、「この人にはちゃんと話しておきたい、わかっててほしい」って思える人に出会えたことは、それ自体がとても幸せなことなんやろうな。一方通行じゃなければいいな。



この前、哲学家の切れ者シュウくんと話してて、
「桃鉄は賢いよな。けど、よく人から舐められるし、また頑張って喋ってるな〜(笑)って扱いを受けやすいよね。この前もそうなってたやん」
って言われた。涙
うれし涙と悲し涙両方出た。(出てない)
賢いな〜って思ってる人に賢いって認めてもらったことがうれしかった。
この人はあたしの話を舐めずに、一人の人間としてちゃんと聞いてくれてるんや、っていうのがうれしい。ありがとう。涙
けど、あたし話すのが上手じゃないし、見た目もアホっぽいし、女やから、舐められ要素強すぎてまともに聞いてくれない人も多いんよね。
シュウくんはいつもヘタクソな話を一生懸命聞いてくれて、わかってくれる。的確な言葉を返してくれる。賢くて優しいとか最高やん。ほんまサイコー。いつもありがとーー。


自分の気持ちを話したいって思える人と、自分の話をちゃんと聞いてくれる人。
この人たちはあたしにとって、とっても貴重な存在で、財産。まじヴェルタースオリジナル。
ハートフルに大事にしようって静かに思うのでした。

2022年5月12日木曜日

所感

随分放置してしまってました。
もうこれじゃ日記じゃなくてnoteみたいな使い方になってしまってますね、もう随分前からやけど。

彼ピッピとGW旅行した話とか色々書いておきたいことがあるけど、今日は最近思ったことを書き留めておきたくて、そのことを書きます。

読んでる人からしたら、なんのこっちゃって感じやと思うけど。


最近人と接してきた中で、再確認したことは、
やさしい自分でいられる人と一緒にいたいなってこと。

あたしは清廉潔白な人間ではないし、心の奥では言葉に出せない酷いことも思ったりする。
けど、接する人によって、自分の醜い部分が出やすくなったりもすれば、思いやりのある自分でいられたりもするもんだなって思う。
あたしは清廉潔白な人間ではないけれど、理想の、やさしくて思いやりがある自分でなるべくありたいと望んでいる。
そんな自分でいさせてくれる人と一緒にいると、自分のことが好きになれそうと思えるし、心地よい。
だから、そういう人が好き。
そういう人ってのは、やさしくて思いやりのあるピュアピュアハートの人のことだよ。

心の中に潜んでいる、セコイ、ズルい、陰湿な自分はなるべく見たくない。
だから、セコイ、ズルい、陰湿な人とは、より一層距離を置いて生きていこうと思った。
ダサいし、しょーもないし、つまらないし、それは伝染するから。
類は友を呼ぶ。


あたしは清廉潔白じゃないなりに、やさしい人とやさしい世界で生きていきたい。