2019年12月20日金曜日

10年前

長野のおじいちゃんが危ないってお母さんから連絡がきた。
死なんといてほしい。
母がたのおばあちゃん、父がたのおじいちゃんおばあちゃんは、短い期間に3人とも急にポンポンポンと亡くなってしまった。
やから、おじいちゃんまで死んじゃったらあまりにも悲しすぎる。まだまだ生きてほしい。
冗談ばっか言ってニコニコいつも笑ってるおじいちゃん大好きやのに。

冬ってとくに、よく人が亡くなる気がする。


この間の11月27日は友達の9回忌やった。亡くなった日から10年経った。
長くなりそうやけど、10年経ったし書いておく。


その友達はザーサイっていうあだ名で、大学の版画の教室であたしと席が隣同士やった。
その子は祭実行委員、あたしは軽音楽部で、部室も近く、飲み会もいつも合同でやっていたので、授業中も授業後もよく一緒にいた。
版画生は大人しくてゆるふわなキャッキャした女の子が多く、あたしもザーサイもそこに馴染めないハミ出し者同士という共通点もあった。
ザーサイはいつもあたしの服を褒めてくれたし興味を持ってくれた。ザーサイの好きなヴィジュアル系には、あたしは全然興味持てなかったけど。

軽音と祭実行とフォークソング部の合同飲み会は、定期ライブや○○祭などが行われるたびに「打ち上げ」と称して開催され、当時1回生やったあたしらは先輩にいつもアホほど飲まされた。潰れるまで飲まされるのが当たり前やった。完全なるアルコールハラスメント。
あたしはお酒が弱いので、最初の方は泡吹いてぶっ倒れたり、過呼吸になったりしてた。大事なお洋服がゲロまみれになってて翌朝泣いたり。ザーサイもいつも記憶を失くして潰れるまで飲まされてた。
翌朝、教室でヒドイ二日酔いにのたうち回りながら「昨日どこまで覚えてる?」とかって喋るのが楽しかった。もう一人同じ教室に祭実行のぽっぽ(たなほ)という子もいて、3人でよく記憶の答え合わせをしてあーだこーだ話してた。

ザーサイはとくにお酒を飲むのが好きやった。いや、お酒が好きというより、先輩たちのことが大好きで、飲まされるのが幸せ、愛を感じるとかって言ってた。
その思考はちょっと歪んでて危ういなって思ったし、ザーサイともそういう話をしたけど、だけどやっぱり先輩にお酒を飲まされることが幸せやったみたい。
ザーサイは中学高校の時あまり生活がうまくいってなかったみたいで、それもあって尚更大学が楽しかったんやと思う。先輩や友達が一気にたくさんできて嬉しかったんやろうな。



あたしのいた軽音と、ザーサイのいた祭実行は、祭と切っても切り離せない団体だった。
うちの大学の文化祭は、どデカイステージを1から学生だけで作り上げるというハードで大掛かりな手作りの祭で、軽音・フォーク・祭実行の3団体が協力してステージを組むので、3団体は祭前〜祭中とくに大忙しでハードなんです。(だから苦楽を共にする3団体は関係が深く飲み会も一緒)
とくに祭実行なんかは、祭前は毎晩徹夜で学校に泊まり込み、デッカイ装飾を作ったり準備に追われてて、あたしもたまに手伝いに行ったりしてた。
ザーサイは版画の教室の机の下に布団を敷いて仮眠してたな。いつもめっちゃ疲れてた。
祭中は、軽音とフォークも全然寝られないんやけど、祭実行の人たちは3日間完徹してずっと学内の警備をしたりしてて(歴代卒業生にややこしい人が多かったりレイプや喧嘩があったりするので変な人が入って来ないかの警備めちゃ大事)、とくに超超ハードなのです。


初めての文化祭を終え、ヘトヘトになって燃え尽きたけど、楽しんだ〜っていう達成感もすごかった。あたしは部内オーディションで大ステージへの切符を手にし、パチパチパンチーというバンドでライブもした。ボガルタと撃鉄と一緒やったかな。ステージから素足で飛び降りて足を骨折し、その次の日も足折れてるけど違うバンドで小ステージでライブした。痛かったけど楽しかったー。


祭が終わって3週間後くらい「祭打ち上げ」という名の飲み会がある日の昼下がり、久しぶりにザーサイと二人でお昼ご飯を食べた。祭まではお互い忙しくてピリピリしててあんまり話してなかったけど、やっと、おつかれさまー!という気持ちで、和やかな感じで色々話せた。
「今日の打ち上げはヤバそうやな」「めっちゃ飲まされそうやな。がんばろー」「ほなまた後で〜」「うん、また打ち上げで〜」って感じの会話をして、バイバイした。
それがザーサイとちゃんと喋った最後やった。


一旦しめます。

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