2022年9月19日月曜日

あたしは切り離せない派!

お久しブリブリです。

昨日はジャングルブーのレコ発企画「原始のウタゲ」にお呼ばれしてました。
久しぶりのライブやし、ジャングルブーのレコ発やしってことで、わたくし張り切って、弾けない鍵盤を練習してみたり、UFO的ジャンボくす玉を作ってみたり、衣装を改造してみたり、新曲を練ったりなどなどしてました。もれなく全員ぶっ殺すゾ♡とマジ張り切ってました。
けど、ライブはてんやわんやで、もっと上手くやりたかったのにぃぃぃ!!!!と、頭を掻きむしりたくなるような個人的反省がありました。
でもでも、めっちゃ楽しかった。やっぱライブたのしいなあ。麻薬だなあ。
ライブいくよ!って連絡くれた方々本当にありがとうございました。うれしかった。


改めて思ったけど、冬樹くんはホンマによく見てくれてるし、心の奥底までジーンとするようなうれしい言葉を伝えてくれるし、大好きだなあ。心がぽかぽかする!ポジション的には、癒し系師匠てかんじ。
さかなクンはポジティブな言葉が多くてよいです。アホなんかな?て思うこと多いし、壊れたおもちゃかな?って思うくらいワケわからんこともあるけど、あたしには無いやさしさがあって、ソコを地味に尊敬してる。
素敵な二人だなぁ。



最近ず〜っと考えてて、やっぱりそうだ!って自分の中で答え合わせできたことを書きます。
アーティスト、バンドマン、製作者本人の、その「人となり」と、作品やライブ自体の「クオリティ」とを切り離して見れるかどうかって議論がよくあるじゃないですか。
意見が分かれるところやと思うけど、あたしは断然「切り離せない派」だなと確信したって話です。

そもそも作品を作るのは生身の人間。その作者本人がカッコよくなければ、作品が本質的にカッコよくなる訳が無い。パッと見カッコいい風に取り繕うことはできてもね。
それに、少しでも作者本人の情報を知れば、作品に触れた時にその作者のことも頭をよぎってしまうやん。
だから、作者本人と作品を切り離して見ることは、ほぼ不可能なのではないか?と思う。
もし切り離したいなら、作者の情報に一切触れずに、作品のみを見ることに徹底するしか方法はないと思う。

音楽でいうと、ノンソウルな音楽ならまだ良いのかもしれないが(あたしはそれでもダサい人間がやってる音楽をわざわざ聴きたくないが)、ロックンロールやパンクを名乗りたいのなら、人間がまずカッコよくあること、信念に一本筋の通っていることが必須だと思う。
じゃないと自称する資格ないと思う。
だって、ロックンロールもパンクも、精神的な要素、姿勢がかなり重要なジャンルやん。
そこを無視するなら「ロックンロール“っぽい”音楽」「パンク“っぽい”音楽」と称するのが妥当じゃない?
知識があろうが、オシャレに気をつかっていようが、どんな作品を作ろうが、人となりがカッコ悪いなら全てパーだよ。
SNSにかじりついてヌメヌメと人の動向探ったり、本人には言えないくせにしょーもない悪口言ったり、倫理観道徳観のバグで人を傷つけてること自覚してなかったり、我が身かわいさを優先する姿勢も、自分の哲学がなくてブレブレなのも、全部ダサいし、そんな人がやりたいパンクって何?ってかんじです。
普段の行動がそんなんじゃ、何やってても「あ〜、ダサい人が無理してカッコつけて頑張ってるな〜」としか見れなくなっちゃう。
いっそのこと「悪口大好き」とか「ボクはダサい」とか「人のアラを探し隊」ってタイトルの曲作って、開き直って発信してくれた方が、ウソがなくて気持ち良いです。

逆に、人となりは良くても、作る曲やパフォーマンスがダサかったら、それもまた残念。
作者本人もカッコよくいながら、いい作品を作り表現する、更にそれをやり続けるって、めっちゃハードル高いんやと思う。
ときめくバンドに出会うことが少ないのも頷ける。


あたしは別に所謂パンクをやりたいとは思ってないけど、自分にもダサいとこがあるな、悪いとこあったなと思い当たる節がある。
このままじゃ人前に出るの恥ずかしいので、改めるよう努めて生きていくことにした。
そのためには、環境を変えること、尊敬できる人のそばに居ることだ。
今気づけてよかった。後戻りできなくなるところだった。

人のことを変えるのは困難だけど、自分のことは変えられるから、いい方向へしなやかに変わっていこうと思います!
がんばるぞ〜



昨日起きてから、ライブして、ずっと寝てない。
いまいち頭が回っていないので、意味不明な文章になっていないかとてもこわいです。
大丈夫かな。読んでくれてありがとう。
おやすみなさい!

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