2025年2月26日水曜日

こころの病気について

 これは、何か一つの出来事について書いているわけではなく、複数の出来事と、自分がずっと考えていたことがリンクした内容だということを前置きしておく。


精神的な病気について思うことがある。
とくに、精神的な病気になった人が「病んでいる」「死にたい」と不特定多数に向けて表明したり、「病んでいるから仕方ない、許してくれ」と周囲に言ったりすることについては、昔から賛否が分かれると思う。


あたし自身、ごく身近な人たちを含めた精神的な病気と長く向き合ってきた。「死にたい」「病んでるねん」と吐露され相談に乗るなどの経験も昔からある。

だから、ずーーーーーっと、精神的な病気と社会との折り合いの付け方を考えてきた。


そんで、今のところ出た答えはこう。

「ごく親しい人以外に主張すると、損するからやめといた方がええで。」

正直問題、理解されない。99%理解されない。

精神的やまいは、患った人にしかわからなくて想像がしづらく、マイナスなイメージがついてしまっている。

そ〜っとやさしく距離をとられたり、壁を作られたり、好奇の目で見られたり、レッテルを貼られたりする可能性が断然高い。

そういう現状を変えていく意思のある社会派の方は、活動していけばいいと思うけど、そうじゃないならやめといたほうがええで。




それと、病んでる人って悲劇のヒロインになりやすい傾向がある。
無自覚のうちに「自分が世界の中心で、優先的に配慮されるべき」と思ってしまっている。(少なくともあたしにはそう見える)

  • 病気だから迷惑かけても仕方ない → だから謝らない
  • 病気のぼくを責めるなんておかしい → 周りのせいにする


でも実際のところ、社会は自分と同じように考え、生活している人たちで成り立っていて、「病んでる表明」をしていない人たちにも、それぞれ悩みや苦労がある。
自分が世界の中心だと思い込むことで、その周り(社会)が見えなくなってしまう。
この視野の狭さやメタ認知の弱さこそが、病理の所以なのかもしれない。

高熱が出てる時に、難しいことを考えられない状況にも例えられるかもしれない。
ただ、それでは社会でうまくやっていけるわけがない。折り合いがつかない。

本人が納得しているならそのままでいい。
でも、「どうせ自分の居場所なんてこの世界にはない😒(世の中が私たちを理解しない!)」みたいに受け取られると、周囲の人間は「もう触らんとこ……」ってなるよ。



難しいかもしれんけど、なるべく俯瞰していこうや。
自分がしんどいからこそ、「もしかしたら、あの人もしんどいかもしれん」と想像してみようや。

自分に事情があるからこそ、「もしかしたら、あの人にも事情があるかもしれん」と想像してみようや。

それだけで、だいぶ変わると思うねん。


いつも配慮してもらってる側ならとくに、「死にたい」って言われる側の負担や、「迷惑かけられたけど、病んでる人やし責めづらい。。世間的に自分が悪者みたいになるし。。」というナンとも言えない理不尽な気持ちに、たまには配慮してもいいんじゃない?

「病気」って言ったもの勝ち、無敵の人みたいになるのって、自分たちも望んでないんじゃない?


とまあ、ここで静かにぼやきたくなった。



ただ同時に、ごく親しい人の「病んでます」「死にたいです」というSOSは、しっかりキャッチできる社会であってほしいとも思う。
誰にも吐き出せない世の中は、終わってる。

あたしは、親しい友人に限っては、取り繕われるよりも、気持ちを話してくれる方が安心できるから良いと思ってる。
その傾聴の重みくらい、友達のよしみとして背負いたい。




あたしたちは他者とともにこの社会で生きているのだから、配慮し合って生きていくしかない。

2023年11月5日日曜日

ケンカ

この前、ライブ後、深夜3時ごろに9人でラーメンを食べに行った。
その後は鴨川で飲もうってことになって、鴨川に向かっている最中、うちのメンバーが頭のおかしい奴らに声をかけられて、そこからしつこく絡まれたのち、喧嘩になった。

その頭のおかしい奴らの中の1人は、外国人に対して酷い差別発言を繰り返した。
あたしたち9人中2人は外国人だったから。
その2人を「傷つけてやろう」という意図を明確に感じる差別発言をしつこく繰り返した。「外国人は日本に来るな。帰れ」という趣旨のことを。

あたしは、その明確な意図のある差別発言がどうしても許せなかった。外国から来た知人2人は、これを聞いてどんな気持ちになるやろうってたまらなくなった。
この2人の前で、「あたしは、この頭のおかしいヤツの差別に断固として反抗するよ。こんなこと思ってるヤツ、日本人でもクソだと思ってるよ。」って姿勢を態度で示さなきゃいけないって咄嗟に思った。
だから、「え、めっちゃレイシストやん。自分レイシストですよね?まじクソやん!お前が帰れ!」って言ったら、蹴られた。今でも痛みが残ってるくらいの強さで。

「なんでお前に蹴られなアカンねん!レイシストが!」って向かっていったら、相手の一味の一人が割って入ってきて、そこでも揉めた。スネ夫みたいな子分気質のヤツで、あたしが大っ嫌いなタイプの人間だった。言うこともテンションの上がり方も支離滅裂だった。

あたしの予想だけど。
このレイシストたち(少なくとも1名)は、義務教育からそれ以降までずっと勉強を怠ってきたのだろう。正しいことを教えてくれる大人や友達も近くにいなかったのだろう。
自分で「こんな状態じゃダメだ」って気づく脳みそも、残念ながらなかった。頭が著しく悪かった。
そんで、アホなのに、X(Twitter)やYouTubeでクソ右翼の扇動的な偏った情報に触れてしまい、知識は真っさら、ツルツルなほぼ未使用の脳みそに、それらがインプットされたのだろう。
そんな残念な人間同士で集まるようになり、あの日も集まってクスリをやって、テンションも頭もおかしくなった状態で鴨川近くを彷徨いて、絡む人(女性?)を探していた。そこで、あたしたちグループがターゲットにされてしまった。

大体こんな感じではないかと思っている。
挙動がおかしかったのでクスリをやってたと思うけど、それだけじゃあんな差別的な発言は出てこないから、根深い背景があると思う。
教育水準高いはずの日本の、教育の敗北だと感じた。
あたしの周りはわりと賢い人とやさしい人が多いから、こういう話の通じない系の人と関わることがなかったけど(通じないと思ったらすぐ距離をとるし)、若い人間にもこういうのがいるってことを知って絶望してしまった。
今回以外にも、日本に住んだり観光にきたりしている外国人を繰り返し傷つけているのだとしたら、本当に胸糞悪い。死んでほしい。


そして、男に蹴られたこともすごく悔しかった。
手出してない女にも容赦なく蹴り入れてくるような相手やし、あたしが蹴り返したって力づくでボコボコにされるだけ。
女でいることの悔しさを時々痛感する瞬間があるけど、中島みゆきの「ファイト!」の一節がこんなに身にしみることないって思った。
笑いごとじゃなく、ムキムキの喧嘩強い女になりたい。こういう理不尽な場面で、力づくで黙らされないように。悔しくて泣けてくる。
直接的な力で対抗できなかったから、遠隔でどうにかしてやるって思った。その日寝て起きてから、効果的にアイツらを呪うために、祈りについての論文を真面目にずっと読んでいた。
アイツら全員不幸になれ!!!!!日本から出てけ!!!そして差別されて悔しさと悲しみを思い知れ!!!!!


その後じわじわと思ったこと。
それぞれ自分が慣れない喧嘩に巻き込まれたことに驚き、精一杯だったのだろう。
その場にいたメンバーで、あたしが蹴られたことを心配した人はほぼいなかった。
混乱の中で仕方ないと理解もできるし、だからどうって言いたいわけではないけど事実として。

だけど、一人だけ、ココさんが心配のメッセージをしてくれて、少しやりとりして、めちゃくちゃ救われた。
自分のことでいっぱいになる状況の時こそ、自分も周りを見渡して声を掛けられるような人間になれたらいいな。
後、Xにこの喧嘩に関する投稿をしたら、タローさんも心配してメッセージをくれて、それにもすごく救われた。
別に心配されたくて投稿したわけじゃないけど、結果的にむちゃくちゃ救われた。

喧嘩の後、家に帰ってから寝ても1時間半で起きてしまった。気が立ってアドレナリン(?)がめっちゃ出てたから。何度も喧嘩の場面を思い出して、腹が立って、どうしようもなかった。
差別のこと、自分が女であること、話の通じないどうしようもない人間が間違いなく一定数存在するこの世界で生きていかなければならないことについてなど、いろいろ考えてしまい、結局1時間半で目が覚めて以降、布団に横たわりながらずっと眠れなかった。

そんな状態だったから、ココさんとタローさんの心遣いに心底癒された。
ずっと感謝します。
そして、人に気を配って声をかける大切さ学びました。ありがとうございました。


あたしはあの時に言い返したこと後悔してないし、言ってよかったと思ってる。
だけど、いつかこうやって話の通じないヤツとバトルして殺されるんじゃないかって思う。
あたしがドウェイン・ジョンソンみたいにムキムキだったらこんな心配しなくていいのに。
悔しい。

2023年9月13日水曜日

はんせい

前の日記は、イタズラにおじさんとの分断を深めるだけだと思ったので、非公開にしました。
思ってることは確かに日記に書いた通りなんやけど、きっと届いてほしい人には届かず、あなたじゃないよって人が読んで傷ついてしまうんじゃないかと思ったから。
年齢で人を批判したいわけじゃないのです。
40 overでも仲良くできる人はたくさんいるし、そういう人たちを一緒くたにして傷つけたいわけじゃない。
読んでしまった人、傷ついたならごめんなさい。。

要するに、
自分の意見は主張するくせに、人の意見は頑なに聞き入れないコミュニケーション不可能理不尽頑固ジジィFUCKだよ!
ってだけの話です。

2023年8月17日木曜日

近況

あたしの近況を書いておく。
仕事運が少し上がった。
時給が200円アップして、嫌な人は退職して、嫌な部署から働きやすい部署へ移動して、こうなったらいいのにってことが、どんどん次々と現実になっていってる。こわい。
最近ますます怪談を毎日観たり聞いたりしてるから、自分の念が強すぎるせいなのでは、いつか呪い返しがくるのでは、と敏感になって恐れている。

今年の初めに、どこの神社かお寺か忘れたけど、「仕事運が上がりますように」ってお願いした気がしてて、そのご利益かもしれない。
でも、どこでお願いしたのかさっぱり思い出せない。
お礼参りにいけない。

では、この場を借りて、

ありがとう、どこかの神さま!!!!!!!
この調子でもう少し生活を楽にしてくれても構いません!!!!!!



後、日記を書かなくなって今までの間、半年弱くらい?どうにかなりそうでどうにもならなかった人もいた。
その間は大阪のライブハウスにも行かなくなっていた。
でも結局どうにもならなかった。
心底好きになれる人なんて、そうそう現れるもんじゃないよな。


この前観たセンチピードがカッコよかった。

さようなら!

「死にたい死にたい言うやつは死なへん。死ぬやつは黙って死ぬ」

 前の日記から一年弱経ってる!
「落ち込んでいるのは爆弾低気圧のせいだから我に返ったら非表示にする」とか言っておいて、ずっと公開してたから、ずっと我に返ってなかったんだな。
今日も我に返らず生きていきます!


最近、りゅうちぇるが自殺したニュースがすごくしんどくて、芸能人の死って、こんなに影響力あるんやなって改めて感じた。この知らせは、本当にダメージでかいわ。自分や周りのこと、社会のこと、いろいろ考えちゃった。

りゅうちぇるの話ではなくて、ただずっと思ってることやけど、よく「死にたい死にたい言うやつは死なへん。死ぬやつは黙って死ぬ」ってドヤ顔して言う人おるやん。
それ言う人、嫌いやねんな。
どこの統計ですか?誰が言ってたんですか?根拠ありますか?
って思うし、アンタがドヤ顔できる出番は一個もないでって思う。

たとえ、統計で「死にたいと口に出した人の自殺率は10%、言わなかった人の自殺率は90%でした!」と結果が出たとして、いざ友達や身近な人が「死にたい」って自分に告げてきた時に、「まあ、死にたい言うやつは1割しか死なんし大丈夫やろ〜」って思えますか?
あたしなら、「友達がその1割に入る可能性あるやん!ヤバい!」って思うよ。

あたしは「死にたい」ってどれだけ思っても、多分、記憶にある限りでは人に明かしたことないし、しんどさ度合いが強ければ強いほど一人で抱え込むタイプ。
だから、「死にたい」とか弱音を言葉にして他人に話せるのは、ある種強さやなって思ってる。自らSOS出せるってすごいこと。
だけど、その強さがあるからって、実際に死ぬか死なんかなんて、誰にもわからん。本人にでさえわからんことやと思う。
それを、「死にたい死にたい言うやつは死なへん。死ぬやつは黙って死ぬ」って片付けてしまえるのって、想像力の欠如?どん底を知らない人なん?この謎に流布されてるセリフをただ盲信してしまってるの?なんなの?教えて。

「死にたい死にたい」言うてる人が疎ましいのなら、黙って距離を取ればいい。
「死にたい」って打ち明けた人の気持ちがわからないのなら、無理に会話に入らずに、黙っていればいい。
人が真剣に悩んでることや抱えてることを、知った気になって無責任に攻撃しないであげてほしい。

両親兄弟ともに関係良好で家庭環境に問題がない
実家が太いのでお金に困ってない
五体満足の健康体
見た目がそんなに悪くない
知能が平均レベルはある
発達障害、精神障害、人格障害を抱えていない
ジェンダー的にマジョリティ
自分が人種差別される場所で生まれなかった

↑このどれも、自分で勝ち取ったわけではない、ただたまたま与えられた特権。ガチャ。
そのたまたま得た特権の高みから、人のこと見下して攻撃してないか?
自分の持って生まれた特権に無自覚なまま、「自分も頑張ってるのに」「自分もそれなりにしんどいことあるのに」という僻みで人のこと攻撃してないか?

特権がある人とない人、見えてる世界は全然違うよ。
人の苦しみなんてわからないことだらけよ。
あたしだって、人には言わない、簡単にわかられてたまるかってこと抱えてるよ。
それを知ったかぶって、ましてや「死にたい」っていう極限の心理状態に置かれてる人に向けて「死にたい死にたい言うやつは死なへん。死ぬやつは黙って死ぬ」なんて言うもんじゃないよ。

わからないことを自覚せよ。
自分のちっぽけな想像力が及ばない事柄が、世の中にたくさんあることを自覚せよ。

それでも、その上で、諦めずに知る努力=勉強、想像をやめないことが大事だと思うよ。

想像力も使いたくないし、知る努力もしないなら、マジで黙っとけ!

知識はやさしさ。

自戒も込めて。

2022年10月10日月曜日

早く平気になりたい

早く忘れたいんやけど、どこかに行くたびに、なにかを見るたびに、なにかを食べるたびに思い出して、何度も考えてしまう。
どう考えても未だにモヤモヤするし、古傷が痛む。
楽しかったことも多かっただけに、なんともしんどい。

早く平気になりたい。
時間が過ぎるのを待つしかないって知ってるねん。
けど、それまでの時間が死ぬほどしんどいねん。


ただただ、自分が色んなことを糧にして、より良く変わっていって、地道にレベル上げしていくしかない。
賢くて、やさしくて、倫理観がしっかりしていて、弱き者の味方で、戦ってて、尖っていて、魂が汚れていない、面白い人が好きだから、そういう人と居たいから、そういう人に近づけるようにレベル上げしてこう。

これでも、小学生から中学生、中学生から高校生、高校生から大学生、大学生から20代前半、20代前半から今、ちょっとずつ確実に良くなっている。
あたしはなんだかんだ超ポジティブ。
あたしは進歩し続ける。
学習する。
自分の頭で考えられる。
今までもそうしてきたんだから。

大丈夫!!!!!
できる!!!!!!!!
あたしなら!!!!!!
できるできるできる!!!!!!(修造感)


気分が沈んでいるのは、爆弾低気圧なせいもあると思うので、我に返ってしまったら非表示にしま〜す。

2022年9月19日月曜日

あたしは切り離せない派!

お久しブリブリです。

昨日はジャングルブーのレコ発企画「原始のウタゲ」にお呼ばれしてました。
久しぶりのライブやし、ジャングルブーのレコ発やしってことで、わたくし張り切って、弾けない鍵盤を練習してみたり、UFO的ジャンボくす玉を作ってみたり、衣装を改造してみたり、新曲を練ったりなどなどしてました。もれなく全員ぶっ殺すゾ♡とマジ張り切ってました。
けど、ライブはてんやわんやで、もっと上手くやりたかったのにぃぃぃ!!!!と、頭を掻きむしりたくなるような個人的反省がありました。
でもでも、めっちゃ楽しかった。やっぱライブたのしいなあ。麻薬だなあ。
ライブいくよ!って連絡くれた方々本当にありがとうございました。うれしかった。


改めて思ったけど、冬樹くんはホンマによく見てくれてるし、心の奥底までジーンとするようなうれしい言葉を伝えてくれるし、大好きだなあ。心がぽかぽかする!ポジション的には、癒し系師匠てかんじ。
さかなクンはポジティブな言葉が多くてよいです。アホなんかな?て思うこと多いし、壊れたおもちゃかな?って思うくらいワケわからんこともあるけど、あたしには無いやさしさがあって、ソコを地味に尊敬してる。
素敵な二人だなぁ。



最近ず〜っと考えてて、やっぱりそうだ!って自分の中で答え合わせできたことを書きます。
アーティスト、バンドマン、製作者本人の、その「人となり」と、作品やライブ自体の「クオリティ」とを切り離して見れるかどうかって議論がよくあるじゃないですか。
意見が分かれるところやと思うけど、あたしは断然「切り離せない派」だなと確信したって話です。

そもそも作品を作るのは生身の人間。その作者本人がカッコよくなければ、作品が本質的にカッコよくなる訳が無い。パッと見カッコいい風に取り繕うことはできてもね。
それに、少しでも作者本人の情報を知れば、作品に触れた時にその作者のことも頭をよぎってしまうやん。
だから、作者本人と作品を切り離して見ることは、ほぼ不可能なのではないか?と思う。
もし切り離したいなら、作者の情報に一切触れずに、作品のみを見ることに徹底するしか方法はないと思う。

音楽でいうと、ノンソウルな音楽ならまだ良いのかもしれないが(あたしはそれでもダサい人間がやってる音楽をわざわざ聴きたくないが)、ロックンロールやパンクを名乗りたいのなら、人間がまずカッコよくあること、信念に一本筋の通っていることが必須だと思う。
じゃないと自称する資格ないと思う。
だって、ロックンロールもパンクも、精神的な要素、姿勢がかなり重要なジャンルやん。
そこを無視するなら「ロックンロール“っぽい”音楽」「パンク“っぽい”音楽」と称するのが妥当じゃない?
知識があろうが、オシャレに気をつかっていようが、どんな作品を作ろうが、人となりがカッコ悪いなら全てパーだよ。
SNSにかじりついてヌメヌメと人の動向探ったり、本人には言えないくせにしょーもない悪口言ったり、倫理観道徳観のバグで人を傷つけてること自覚してなかったり、我が身かわいさを優先する姿勢も、自分の哲学がなくてブレブレなのも、全部ダサいし、そんな人がやりたいパンクって何?ってかんじです。
普段の行動がそんなんじゃ、何やってても「あ〜、ダサい人が無理してカッコつけて頑張ってるな〜」としか見れなくなっちゃう。
いっそのこと「悪口大好き」とか「ボクはダサい」とか「人のアラを探し隊」ってタイトルの曲作って、開き直って発信してくれた方が、ウソがなくて気持ち良いです。

逆に、人となりは良くても、作る曲やパフォーマンスがダサかったら、それもまた残念。
作者本人もカッコよくいながら、いい作品を作り表現する、更にそれをやり続けるって、めっちゃハードル高いんやと思う。
ときめくバンドに出会うことが少ないのも頷ける。


あたしは別に所謂パンクをやりたいとは思ってないけど、自分にもダサいとこがあるな、悪いとこあったなと思い当たる節がある。
このままじゃ人前に出るの恥ずかしいので、改めるよう努めて生きていくことにした。
そのためには、環境を変えること、尊敬できる人のそばに居ることだ。
今気づけてよかった。後戻りできなくなるところだった。

人のことを変えるのは困難だけど、自分のことは変えられるから、いい方向へしなやかに変わっていこうと思います!
がんばるぞ〜



昨日起きてから、ライブして、ずっと寝てない。
いまいち頭が回っていないので、意味不明な文章になっていないかとてもこわいです。
大丈夫かな。読んでくれてありがとう。
おやすみなさい!